「伝統」でなく「伝燈」 (千宗屋 “もしも利休があなたを招いたら”)



「もしも利休があなたを招いたら」千宗屋 (著)


かつて、大徳寺の立花大亀老師に「侘び茶の「侘び」とは、どういう意味ですか?」と聞いたことがあります。
すると老師は、「侘び、というのはな、お詫びのこっちゃ」と言われました。



普段、私たち一般の人にとって、日常からは縁遠いと思われている茶の湯。

それを「もてなす」という視点から、

・いかに、それが私たちの生活習慣に密着した身近なものであったか
・いかに、自然からの恵みを工夫することで、豊かに味わうか
・いかに、作法以上に、自分自身が今できる精一杯のもてなしを表せるか


というテーマで、ていねいに茶の湯の世界について語られた本です。


ちなみに冒頭の「侘び茶」への引用には2つの意味があるそうです。

・このもてなしは、今自分に出来る精一杯で、まだまだ足りない部分があり「申し訳ない、と思う気持ち」
・人は自然の犠牲を頂いて生きている。だからその犠牲を最小限にする工夫をする事での「お詫びの形」

まさに禅の思想そのものではないかと思います。


ここではもう一つ、文字通りすっと「浸透」した、「伝統」の意味について、少々紹介を。

「伝統」の語源「伝燈」について

燈とは、お燈明のことで、お釈迦様が亡くなられる時弟子たちに、
・自分の心を拠り所、燈火とし、
・私が説いた教えを、燈明としなさい
と伝えられたところに始まるそうです。

暗闇を照らす光、火、すなわち燈火。
そのうち「伝燈」とは、教えが伝えられることを意味しています。

そして、教えが未来永劫この燈火のごとく、闇を照らして人を導くものとなるよう願いを込めた火。
その火が、1200年消える事なく比叡山の根本中堂で、今日も燈り続けているのが「不滅の法燈」だそうです。

が、この火を守り伝えるためには、常に新しい油を注ぎ続けなければならない。
いまある燈火を守っているだけでは、やがて消えてしまう。
常に新しい油を注ぐことで、その火はずっと、つながっていく。


もしも油を注ぐ事を怠ってしまったら、どうなるでしょう?
火は消えてしまいます。
ですからそれを「油断」というのだと、私は教わりました。
まさしく伝統というものの本質は、ここにあるわけです。
最初の志を継ぎ守っていくことは、常に新しい油を注ぎ足すことが必要なのです。


とても分かりやすい、すっと沁み入る意味だと思います。

「伝統だから」の一言で思考停止するのではなく、未来へとつなげていくため、守っていくため、の教えが凝縮されている、と思います。

毎日放送制作の「情熱大陸」で実は初めて氏の事を知り、すぐ本を買って読んだのですが、「もてなすこと」について含蓄に富みながらも、番組での語りと同じように分かりやすく、読みやすい本です。