今日の糸井重里 (BRUTUS 2011年4/15号)

月曜日, 4月 4th, 2011. Filed under: Book

人生の折り返し点をとっくに過ぎてるはずなのに、
生まれたての子どものように、
新しい世界を体験してきました。


こういう言葉をさらっと、しかも心から楽しそうに言える人には、最も怖いと思うのと同時に、最も強い憧れを抱きます。
言い方を変えれば、子どものような好奇心と、澄んだ醒めた目を維持し続けている人。
または、自分が生きやすく、自分が楽しくあれる遊び場を作り、居る事を、一番大切にする人。

2011年4/15号のBRUTUS (ブルータス) 「今日の糸井重里」。
含蓄のある言葉があまりに多く詰め込まれた、とても豊かな特集です。

brutus

さて、内容から引用しだすと切りがなくなりそうですが、それでも一部を引用してみたいと思います。

コンテンツって、何か違和感のあるものを一つ混ぜると形になるんです。
例えば、不幸のどん底みたいな人が人生相談をしてきたとする。
その時、「落ち込むなよ」とか、色んなアドバイスがあるんだけど、
そこで「電気を消して、部屋の隅に座って何時間でも納豆を混ぜるんだよ」と言うと、納豆のところで気持ちが「飛ぶ」でしょ?
その納豆に当たるものを発明すると面白いんだ。


僕は「使いこなす」という言葉が大嫌いなんです。
モノが持っている機能をすべて引き出そうと思うと、それが脅迫観念になってしまう。
雑な使い方をしても、「このモノが大好きなんだ」って思える方が
よっぽど「モノを使っている」感じがします。


自分がどういうふうに見えているか、
自分の思っている自分と人が考えている自分との距離がほとんど近くて、
自分が今いる場所で、どうしていきたいかってことを知っている。
それが知的ということだと思います。


こういった本質的な事柄を、やさしくシンプルに伝えることのできる人の凄さ・貴重さを感ぜずにはいられません。

そして、この特集の中で最も印象的だったのが、3/5に日本大学藝術学部で開催された「 素直であるためのワークショップ」の内容です。
「大事な事は、0から1をつくること。それを言い出す人をつくること。」というテーマ。
そして「集まった人が、この場をつくる」というワークショップの本質が凝縮されたそのプロセス。

読みながら鳥肌が立った内容でした。

もし、まだ読んでいない方は是非とも!
雑誌というメディアが持つ、情報との出会い方、偶然性が持つ広がり方について、改めて実感した非常に素晴らしい編集だと思います。

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