「のびのびBOY」の背景にある、愛情やルールへの考え方

バンダイナムコゲームスから先日発売された、iPhoneアプリ『のびのびBOY』。
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一言で説明するのがとても難しいアプリなのですが、
そのかわいい世界観や、「BOY」をのびのびさせるという一見意味不明な遊び方、
また、遊びそのものをあらかじめルールとして与えられるのではなく、自分たちで探索していく感
などがとても共感でき、楽しくて大好きなアプリです。

今回はこのアプリそのものの紹介というより、
なぜこの一見意味不明なアプリが、自分を惹き付けるんだろう?ということについて。

まず面白かったのが、発売前にキャラクターたちによる「アプリの製品会議」と題した映像群を、
全12回にもわたって事前公開していった点でした。

のびのびBOYの製品会議 その1/12【NOBY NOBY BOY】


のびのびBOYの製品会議 その12/12【NOBY NOBY BOY】


映像そのものもアナログ感満載でとてもかわいく、楽しくなってくるものなのですが、
この映像を見ながら、
「のびのびBOY」を手掛ける高橋慶太プロデューサー自らが撮影している、という点含めて
はっとするものがとてもありました。
ゲームに対する手間や愛情が感じられるこういった温度感は、今自分に最も欠けている、
または世の中としても欠けていることなのではないだろうか、と。



また、「のびのびBOY」のWebサイトも、そのゆるさ加減が大変秀逸なものとなっています。

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アプリそのものもそうですし、これら映像やサイトをとってみてもそうなのですが、
・程よいゆるさ、一見訳の分からなさを持った世界観
・どう遊べば良いんだろう?というある種の突き放し感
・自分たちが作り上げたゲームそのものへの愛着さ

こういったアナログな感覚へ、むしろとても「今」な印象を持ちました。

この自分の持った印象に、バンダイナムコゲームスの高橋慶太氏のインタビューで
分かりやすくも、とても共感の出来る回答を提示されていましたので、少々ご紹介します。

ここ4〜5年で、世界はどんどん窮屈になって行ってると思います。
ゲームの世界ではなく、現実世界のことです。
うまく説明できないんですけど、いま世界を覆っている不況とは関係なく、違う点で窮屈になっていると思います。
完全な思い込みかも知れないけど、何か得体の知れないものに縛られているというか、システムに捕らわれすぎているというか、そういう感覚が僕にはあります。

”のびのび”っていう言葉は日本でふつうに使われる言葉なんですけど、”気持ちや気分が開放的になったり、くつろいだりする様”という意味があります。
大げさ過ぎる話ですけど、『のびのびBOY』はこの窮屈な世界に対しての自分なりの抵抗であり、それがこのゲームを作った理由だったりします。

僕たちがビデオゲームを愛しているのなら、もっともっと多く考えて、もっともっと多く感じ、もっともっと多く観察し、もっともっと楽しみながらゲームを作っていかなきゃいけないんじゃないかって思います。
ビデオゲームには完成形なんてなくて、ずっとずっと発展途上なものなのに、僕たちが「ゲームとはこういうものだ」という思い込みで作ってるんじゃないんでしょうか。

ゲームを作るルールに甘えているんじゃないかって。
過去や経験に甘えているんじゃないかって。


iPhone版『のびのびBOY』!? バンダイナムコゲームス、高橋慶太氏によるセッション – ファミ通.com


ゆるーい世界を楽しみながらも、それを通じて多くの事が感じられる/考えられるアプリなのではないかと思いますし、そういった作品が実は求められているからこそ、自分も感じるものがあったのではないか?という気がしています。


iPhoneアプリ『のびのびBOY』(リンククリックでiTunesが立ち上がります)