エロスのコミュニケーション (「刺青」増村保造監督)

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たとえば、お艶が、背中を向き、妖しい仕草で着物を「すとん」と落とすシーン。

白い肌と赤襦袢のコントラストが、その陶器のような白い肌の美しさをさらに際立てる。
そして、その白い背中にあるは、目を剥いた女郎蜘蛛。

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または、お艶の美しく白い肌に魅せられ、一世一代の刺青を彫りたいと願う刺青師の清吉。

念願叶い彫り上げられた後で、お艶が苦痛に悶え、白い肌の背中を露にし、うごめく姿。
その背中に彫られた女郎蜘蛛が、なめやかにうごめく姿を、
嘗め回すようにカメラは撮り続けている。

谷崎潤一郎の処女短編小説を、増村保造が監督、若尾文子が演じた「刺青」は
素晴らしいエロスと情念の映像作品と言えるでしょう。

何がエロスとしてのコミュニケーションを成立たらしめているか。
それは、男の生き血を啜って生きるお艶演じる若尾文子が、
カメラの前で恐らく脱いでいるところに、一つあろうかと思います。

脱いだ裸の世界が、現実に起きている。
それも若尾文子の、激しい獣のような性が露となって。

現実に、その場で起きている事が醸し出す雰囲気。
それは見ることはないが、感じ取ることはできる。
その空気感を濃密さを。
その濃密な空気感がエロスたらしめていると言えるでしょう。

そして、若尾文子が演じるお艶が持つ、妖しくも激しい下品さと品格。
これがもう一つのエロスです。
下品であり悪趣味でありながらも、品がある。これがエロスたるための条件。
だらし無くはだけた胸元の白い肌と、赤襦袢の対比のビジュアル、
男を虜にし、人を殺させても平然と立ち振る舞うその姿、
そこにはエロスがあります。


エロスのコミュニケーションとは、
悪趣味を押し進めながらも、品格を保ち、ソフィスケートするという、
非常に高度なバランス感覚が必要とされるものなのだと言えましょう。

そしてそれを受け取る観衆の感性にも、エロスの空気を読み取る感覚が要求される、
高度なインタラクティブ性を持ったコミュニケーションなのだと言えると思います。

この決して万人向けではない、このコミュニケーションの持つ力とは、強い虜を起こす力。

若尾文子の白い肌の、そして女郎蜘蛛の虜となった男の苦悩。
決して獲得する事は出来やしないお艶への、苦悶。

その苦悶こそが、エロスのコミュニケーション。