8分20秒の世界再構築術 (8min20sec)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration, PV | Posted on 29-11-2009

都市の風景を8分20秒間、ビデオカメラで固定撮影。
その映像を、1秒に1フレームづつずらし、ウィンドウをタイル状に並べることで、
世界を再構築した映像作品です。

「8min20sec」

8min20sec (2009), FL@33 vs Mercury Quartet from Tomi Vollauschek on Vimeo.


このパノロマ/ミニチュア感は、世界の再構築感が気持ちいいのだと思います。
特に男子にとっては。
ついつい見続けてしまう。ひたすらぼーと。

世界を再構築したい、という男子たちの欲望はこうして続いていく。

本と切り絵で物語を綴る (NZ Book Council)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration, PV | Posted on 29-11-2009

「New Zealand Book Council」という、ニュージーランドの文学作品を紹介するNPOの
プロモーション映像が、とても素敵。

一冊の書籍から、切り絵で物語が紡ぎだされていくという映像作品です。



そもそも書籍というメディア自体、何か閉じ込められた世界のドキドキを感じさせるものだと思います。
そこへ切り絵の表現によって、立体的に、幻想的に、物語が展開されていく。
確信犯的なそのセンス、素晴らしいと思います。

手間の掛かりようも含めて、こういった幻想性を持った表現はすごく好きです。

年一回の素敵な映像プレゼント (ソラリアプラザ)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration, TVCM | Posted on 29-11-2009

毎年、素晴らしいCMをこの季節に届けてくれる、ソラリアプラザ。
今年は「影」をモチーフに使った、最高に素敵な作品です。



使われるモチーフがいつも素敵なんですよね。そして最後の落とされ方が。
見ているだけで暖かく、やさしい気持ちにさせてくれる。

映像一つで、人の気持ちを、ここまで動かすことができる。たとえ低予算であったとしても。
届けようとする気持ちが全てなんだよな、と思います。

千の言葉を綴るより、こういった愛ある作品が毎年丁寧に届けられることは、
いろんな人を、いろんな意味で勇気づけていると思います。

これからも楽しみに待たせていただきます。

そして良いクリスマスを!

ソラリアプラザ 「雪道」編/「サーモグラフィー」編/「走るX」編

「ぼーと見れる」がキーワード (”インテル® テクノロジーを搭載したモバイル・サブノート PC”)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration, Web Site | Posted on 24-11-2009

インテル® テクノロジーを搭載したモバイル・サブノート PC

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物語は、映像と共にリニアに進み、
ただ、ぼーと、心地よく、見てるだけで、完結する。
最後に、カンタンに導く動線をそっと置くだけ。
新しいランディングページのコミュニケーションの在り方だと思います。

一度に多くを説明しない。
言葉を多く使わない。
複雑にしない。
ぼーと、なんとなく、楽しめる。


過剰なWEB広告表現時代における、大切にすべきキーワードの一つだろうと思います。

「違い」でなく、「極端な違い」を生み出す (”ザグを探せ! “)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Book, Marketing, Strategy | Posted on 23-11-2009

「ザグを探せ! 最強のブランドをつくるために」 マーティ・ニューマイヤー (著)

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ここで言う「ザグ」とは、ジグザグの「ザグ」から。

ブランディング戦略論において、ここまでシンプルでメッセージ性が強く、
グラフィカルな本はそうないと思います。
その点が、この本の最も優れたところでしょう。

たとえば、「重要なのは「量」でなく「違い」」という項目で言及する、
「ザグ」を目指すメッセージ。



競争を一歩リードするための「差別化」では、もはや第一面を飾れない。
商品やサービスが極度に氾濫する現代においては、差別化だけでは不十分だ。
必要なのは「過激な差別化」なのだ。






みんなが「ジグ」なら、あなたは「ザグ」。

「違い」を生み出せ。

いや、極端な「違い」を。




このメッセージ自体が、時代の空気を十分に反映されていると思います。
「もう中途半端な定量から、プランニングしていたって、ブレイクスルーなんて生まれっこないよね。
でも不況だし、心配だし、なんとなくそれが求められてる気がやっぱりするし。。」
的な、重〜い諦めに似た、今の空気感に。

そのうえで、こうズバっと切っているあたりが素晴らしい。



現代の真の競合相手は、
直接的/間接的な競合商品ではなく、
市場の極度の「氾濫」にある。






「独自の強み(バリュー・プロポジション)」を描くうえでの鉄則は、
いわゆる「ベスト・プラクティス(最良事例)」を忘れる事だ。




そして自分自身へも問いかけていきます。



はっきりとさせなければならないのは、
あなたのビジネスは何か、つまり核となる目的は何かということだ。

核となる目的というのは、
「単なる金儲けを超えた、企業の根本的な存在理由」
のことだ。




これらのメッセージに続いたあとは、
「ザグ」を生み出すためのプロセスが紹介されていきますが、
この本の一番の存在意義は、
「差別化では足らない、過激な差別化を目指せ」という、そのシンプルで強い姿勢表明によって、
読み手に活力を与えていることだと思います。


この本は、熟読するというよりも、折りにふれぱらぱらとめくり、
はっと気づきを得るように活用するのが、正しい使い方な気がします。


最後に、冒頭で引用されている、ドラッガーのメッセージが素晴らしいので、ここでも引用を。
最も重要な機能なのに、最もなおざりにされがちなだけに、自戒を込めて。



ビジネスにはふたつの機能しかない。
それは、マーケティングとイノベーションである。


ー ピーター・ドラッガー


おすすめです。

エロスのコミュニケーション (「刺青」増村保造監督)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration | Posted on 15-11-2009

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たとえば、お艶が、背中を向き、妖しい仕草で着物を「すとん」と落とすシーン。

白い肌と赤襦袢のコントラストが、その陶器のような白い肌の美しさをさらに際立てる。
そして、その白い背中にあるは、目を剥いた女郎蜘蛛。

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または、お艶の美しく白い肌に魅せられ、一世一代の刺青を彫りたいと願う刺青師の清吉。

念願叶い彫り上げられた後で、お艶が苦痛に悶え、白い肌の背中を露にし、うごめく姿。
その背中に彫られた女郎蜘蛛が、なめやかにうごめく姿を、
嘗め回すようにカメラは撮り続けている。

谷崎潤一郎の処女短編小説を、増村保造が監督、若尾文子が演じた「刺青」は
素晴らしいエロスと情念の映像作品と言えるでしょう。

何がエロスとしてのコミュニケーションを成立たらしめているか。
それは、男の生き血を啜って生きるお艶演じる若尾文子が、
カメラの前で恐らく脱いでいるところに、一つあろうかと思います。

脱いだ裸の世界が、現実に起きている。
それも若尾文子の、激しい獣のような性が露となって。

現実に、その場で起きている事が醸し出す雰囲気。
それは見ることはないが、感じ取ることはできる。
その空気感を濃密さを。
その濃密な空気感がエロスたらしめていると言えるでしょう。

そして、若尾文子が演じるお艶が持つ、妖しくも激しい下品さと品格。
これがもう一つのエロスです。
下品であり悪趣味でありながらも、品がある。これがエロスたるための条件。
だらし無くはだけた胸元の白い肌と、赤襦袢の対比のビジュアル、
男を虜にし、人を殺させても平然と立ち振る舞うその姿、
そこにはエロスがあります。


エロスのコミュニケーションとは、
悪趣味を押し進めながらも、品格を保ち、ソフィスケートするという、
非常に高度なバランス感覚が必要とされるものなのだと言えましょう。

そしてそれを受け取る観衆の感性にも、エロスの空気を読み取る感覚が要求される、
高度なインタラクティブ性を持ったコミュニケーションなのだと言えると思います。

この決して万人向けではない、このコミュニケーションの持つ力とは、強い虜を起こす力。

若尾文子の白い肌の、そして女郎蜘蛛の虜となった男の苦悩。
決して獲得する事は出来やしないお艶への、苦悶。

その苦悶こそが、エロスのコミュニケーション。

LOFTらしさ溢れる、LOFTサイトのリニューアル

Posted by kUtsunomiya | Posted in Web Site | Posted on 13-11-2009

LOFTのサイトが、素晴らしく素敵にリニューアルされました。

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「わくわくする感じ」「何かに巡り会えそうな感じ」
LOFTの店に訪れるときに感じて欲しいと思うだろう、ブランドとしての想い。

そんなLOFTブランドとして、訪れたユーザに感じて欲しいこと、が
きちんと、そして素敵な形となって、表現されていると思います。

予定調和なWEBサイトの在り方でない、LOFTらしいチャレンジを感じると同時に、
そのエッセンスが表現として落とされているところに、なにより素晴らしさを感じます。

こういったチャレンジ精神は、
送り手のLOFTに対しても、
作り手に対しても、
とても元気がもらえると同時に、共感を覚えます。

最近、WEBサイトを観て何かを感じることが少なくなってしまったと思っていた中、
素晴らしいサイトに今日は出逢ったと感じました。

ビジュアル体験でしか、表現できないこと。伝えきれないこと。
デザインが持つべき方向について、真っ向から回答を出されたサイトだと思います。

777」さん、「602」さん、による素晴らしきプロジェクトです。

チョコレートにもストーリーを (TabLetter タブレター)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration, Marketing | Posted on 12-11-2009

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「タブレター」とは、ひと粒ひと粒が
文字になったタブレットチョコレートのこと。

アルファベットや数字、絵文字のタブレットチョコを並べて、
大切な人に心のこもったスイートメッセージを贈りませんか。
これからは、ラブレターよりタブレター


という、「100%ChocolateCafe」からの素敵な提案。

チョコレートは、その人に何かをプレゼントしたいという想いの「一つの象徴」。

その象徴をさらに自分なりにアレンジすることができたら、
もっとその想いが素敵に届けることができたら、
そんな意図から開発されたことが推測できる企画だと思います。

モノに、もっとストーリーを与えること。
それが今の時代でモノを作り、売る為において重要な要素であることは
間違いないことだと思いますが、この、タブレターというコンセプトから伺えるように、
それが「素敵な」ストーリーであること、が一番大切な事なのではと思います。

Webサイト上でタイプすることで、シミュレーションできたり、
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例文が色々とあったり、
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と素敵な仕組みも提供されていますが、それもこの強いコンセプトがあるからこそ、の話です。

ネット限定販売ということを考えれば、このコンセプトを活かして、
友達へ素敵なグリーティングメールが贈れたり、
twitterと連携して、ツイートをチョコレートで表現してみたり、
実際にタブレターのタイプフェースを作って配布してみたり、
と、さらに色々なアイデアが膨らみそうですし、これから
追加されていくことも十分考えられると思います。

日常の何でもないと思われるようなことの中にこそ、
ストーリーを与えられたときに、生活者にとっては素敵なプレゼントとなる。
だから、そのストーリーに共感して、欲しいと思う。

マーケティングのヒントは、日常の中にいつもある。
という、シンプルな、向かうべき方向がよく分かる商品だと思います。

インド・ムンバイでケータイユーザを獲得した、ある発想転換

Posted by kUtsunomiya | Posted in Marketing, Strategy | Posted on 10-11-2009

新興国へのビジネスモデルの組み立て発想について、面白い話を読んだ。

先進国のケータイのサービスモデルでは、店舗網を作り、
それを拡張しながら、ユーザを獲得し拡大していく。
しかし、それが新興国の場合、
所得が低いけれど、限られた時間だけケータイを利用したい、という
潜在ユーザを取り込んでいくには、その方法で採算を取る事は難しい。

そのために、ここで大きく発想を変える。

インドのムンバイでは、ダバワラという125年の歴史を持つ
「非常に安価な価格で、家庭で作ったお弁当をオフィスに届ける」という
デリバリーサービスがある。
その集荷数は、一日にしてなんと約20万件。
宅配部隊の数は、約5,000人にも及ぶ。

そこに、携帯電話会社は目を付けた。

店舗網を一から作っていくのではなく、
ダバワラと交渉し、その宅配部隊を活用して、ケータイのサービス案内も始めたのである。
店舗網は、約5,000人の宅配部隊。ターゲットは、毎日約20万人出会うことになるダバワラユーザ。
「店舗を作り、来てもらう」のではなく、
「見込みのある人とコンタクトできる異なる手段を見つけ、出向く」発想転換。


それにより、実店舗への投資を削減することで、
潜在ユーザ層に対してであっても、十分採算が取れるように転換し、
顧客を新たに手にした、という話。

「その地域特性上、活用できる最も最適な資源は何か?」という問いからの発想転換。
示唆するものが多いにあると思います。


ちょうど、「”Droga5″ million NY education-desktop」のような、
「子供たちの学業へのモチベーションを上げるには?」という問題に対し、
「携帯電話を無料で与える」という、間接的なソリューション提供のように。



あるいは、オバマ大統領選挙戦フロリダ州での、
高齢者層が持つ、根強いオバマ氏への偏見を説得するために、
「直接のターゲットである高齢者層」へ、ではなく、
「高齢者層に対して、最も影響力が強い層である『孫』」に焦点を変え、
祖父祖母を切り崩していくという「間接的なコミュニケーション戦略」のように。


目に見える、直接的なターゲットだけを相手にするだけでは、
もはや困難な状況の場合の方が多いのが、今だと思います。
それはどんな領域においても、きっと言えること。

いかに、視座が変えられるか、視点をずらせるか。
その「幅」こそが、これから「必要な能力」とされるのだろうと思います。

道は、険しい。。

Via : 「経営思考の「補助線」」御立 尚資

呪とか気とか。或いは「そこ」でしか感じ得ない「場の力」について (斎場御嶽と久高島)

Posted by kUtsunomiya | Posted in Inspiration | Posted on 06-11-2009

琉球王国最高の聖地とされる「斎場御嶽」。

その御嶽の目の前に浮かぶ島が、
琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、
琉球神話での聖地の島とされる「久高島」。

今日は、その二つの霊場へ行って感じた「場の持つ力」についての話。

御嶽(うたき)とは、神さまが降臨し、鎮座する聖域のことを指すのですが、
まず「斎場御嶽」で触れたいのは、「体験するプロセス」の仕組みについて。
この一連の体験が素晴らしいのです。

まず、亜熱帯性な植物が満ち満ちた森を入って行くところから始まります。
そこにある心地よさと、一方でじっとりと重苦しい不安感。
それを感じながらしばらく進み続けた先に、ぱっと森が開け、
三庫裏(さんぐーい)と言われる、巨大岩のトンネルが同時に見えたときの、
圧倒感と、ふらふらとトンネルへ誘われていく感覚。

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そして、そのトンネルをほぼ無意識のようにくぐり、左にふと視線をやった時、

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神の島「久高島」の姿に、唐突に出逢い、ぱあっと邂逅していく時の感覚。
この一連の緩急、とかく巧妙な体験設計だと思います。


続いて、沖縄の聖地中の聖地、神話の島である「久高島」。
ここでは、「神話」がもたらすある種の「呪の気配」についてを少々。

その最も象徴的な場が、祈りの場としてだけに存在する「クボー御嶽」。

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ここは、一般の人間が入り込むことを拒む力が、とても感じられます。
はっきり言って、怖い。
これ以上進んではきっといけない、なにか良くない事が起こりそうだ、と
肌で感じられる怖さ=「畏怖」が、自分のようななんの霊感もない人間にも確実に、伝わります。

一方、島の北の突端「カベール」にあるのは、その対極にあるような理想郷。
一直線に進んだ道が、突然途切れた後で、ぱあっと開けた視界にある、素晴らしい景色。

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言葉で言い表せきれないほどの、気持ちのいい場所です。

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圧倒的な、全身で感じる開放感。
このバランスが、この島に対して不思議な気持ちにさせている一因だろうと思います。

その場にわざわざ行かないと、感じることが出来ないような類いの体験。
情報として伝えられることは、あくまでその断片でしかないこと。
そこに、最も価値があるのが、今の時代なのだと思います。

そして、その共有体験は、さらに結びつきを強固にさせます。
ちょうどディズニー体験のように。

「その場でしか体感できないことの力」について思い知る一つの場所が、霊場。
そんな気がします。

ちなみに、羽田でふと機内で読む用に買った「陰陽師」では、
「呪」とか「気」について、ずばりと言い表された台詞がありました。




「たとえばここに、人の形に似た石があるとするな」

「うむ」

「それはつまり、人という呪をかけられた石だ。
似れば似るほど強い呪がかけられていることになる。
石の霊が、人の霊性をわずかながら帯びることになる。
それだけならどうというほどのものでもないが、それが人の形に似ているからと、
皆がその石を拝むことになれば、その石に、さらに強い呪をかけてしまうことになる。
帯びる霊性も強くなる。」

「ははあ」

「時としてあやかしをしたりする石は、そのような、人に何年も何十年も拝まれた石だな」




つまりは、「ここは聖地である」と想うこと。
その想い続けられた年月、そこに溜まり続けられた人の想い、つまりは呪。
これらが、「気」となっているのだろうと。

これも、そこへ出向かわないと感じられない体験の一つなのでしょう。